June 25, 2006
三木幸男氏逝去
新宿高島屋宝飾品売り場に勤務している
三木幸男さんが58才で亡くなって、
今日が葬儀の日です。
私にとっての三木幸男さんは
宝飾品の師匠のような人で、
何から何まで教えてくれて、
カッツアニーガのパウロの教えも、
三木さんが色々説明してくれて、
理解できたこともたくさんありました。
私がバチカンのどの礼拝堂に行っても、
一番前の中央の席に座れるのは
三木さんが探してくれたクロスがあるからです。
三木さんが亡くなった日は、
朝から技工をしていましたが、
午後になると急にはかどりだして、
ドラゴン比企(ひき)と清ちゃんのDPを
作っていたのですが、
何だかすいすいできてしまって、
新宿の高島屋に行ってハンズで探し物をして、
その後、三木さんと話でもしようかな、
と思っていた矢先に、
外商のまっちゃんから6時頃連絡があり、
その連絡の伝播と確認の電話をしていたら
9時になっていました。
三木さんとはその前日
日本橋タカシマヤの催しがプリンスタワーであり、
私は診療日だったので仕事が終わった5時から出かけ、
6時30分の閉会までいましたが、
ほとんどの間、
三木さんとカッツアニーガについて話していたので、
私が三木さんが接客した
タカシマヤ催し物の最後の
お客様ということになりました。
いつも三木さんと会う約束をしている時は、
どんなに難しい技工でもすいすいとできたり
、難しいハズの治療もさっとできて
時間通りに約束の場所に行けることができたので
G.V. BLACK DENTAL OFFICEではこれを
「三木さんの念力」と呼んでいました。
だからきっとその日も三木さんが、
自分が死ぬとは思わずに、
私に念を送って新宿タカシマヤに来るように
し向けていたのかもしれないと勝手に思ったりしました。
私は今まで多くの人の死に直面しましたが、
今回の三木さんの死はおにいちゃんの死に
匹敵する大きな死でした。
今日の東京は激しい雨が午前中続いたものの、
三木さんの葬儀が終わると、その雨は嘘のように上がりました。

私は診療日で昼の葬儀には行けず、
代理を立てましたが、
昼休みに私なりの三木さんを送るための準備をしました。
私は江戸時代から長く続く
伝統を守る皐月愛好家であるので、
皐月が満開のこの時期に亡くなった人を
送るには皐月愛好家の方法で送るわけです。
そのために今日は2時間をかけて
皐月の花を1000くらい摘みました。
品種は「新紀元」「華宝」「暁天」
「鴇恵比須(ときえびす)」「美裕(みひろ)」
「千代の光」「一生の春」「大盃」
そして私が一番好きな「薫風(くんぷう)」です。
摘んだ花を入れた袋は
私が病院のフロントにいつも花を買うと、
花屋さんが包んできてくれる
45リットルの都指定のゴミ袋より
大きな花に優しいというポリ袋です。

これをどのように三木さんに届けるか、
ということになりますが、
もう三木さんは霊になっているので、
霊には霊にわかる方法で届ければ良いのです。
私はバチカンから最も愛されている
キリスト教徒の一人ですが、
我が家には仏壇があります。
その仏壇に先ほど摘んだ皐月の代表選手を
水に浮かべて備え、こう念じるのです。
ご先祖様、三木さんに
私が皐月を用意したことをお知らせ下さい。

水をたたえる鉢は、
100年以上前に皇帝が使うために
作られた古い支那製で
「麦麺滓手(ばくめんししゅ)菓子鉢」
と呼ばれ茶道で菓子鉢に使われる鉢ですが、
我が家ではこの儀式に使われる鉢なのです。

その年、初めて咲いた皐月を仏壇に供えて、
今年も健康で皐月を見ることができたと、
ご先祖様に感謝するときにもこの鉢を使います。
橋の家ではそんな儀式をすることが
皐月愛好家としての、証となっています。
そんな皐月愛好家からもらった
1000の花を携えて三木さんは逝きます。
さよなら。
三木さん。
この土は三木さんの上に軽かれと願う。
Amen.
Norman Yamazaki, DDS.


おにいちゃん
